本文へスキップ

Nakayama is between Narita And Haneda International Airport

中山・下総・散歩道

藤原観音堂と宮本武蔵伝説

宮本武蔵ゆかり藤原観音堂
木下街道を中山競馬場があることで有名な船橋法典駅から東に10分程歩くと、吉川英治著の小説「宮本武蔵」の第6巻の冒頭で、「法典が原」と呼び、下総国葛飾郡行徳(現市川市行徳)にある徳川家康ゆかりの徳願寺から一里ほどと説明された地、船橋市藤原町に、宮本武蔵の隠れ家とも伝えられる藤原観音堂はあります。そうです、小説の中では、剣豪宮本武蔵と伊織の出会った場所となります。また、この藤原の地は、宮本武蔵によって開発されたという言い伝えもあるほどです。なんだかほっこりした歴史ロマンを感じるお話です。
実の所、この武蔵伝説を否定する方もおりますが、地元としては少し夢を見たい気分です。
また、この観音堂に祀られる観音様は身代わり観音と呼ばれ、大切にされている船橋市の有形文化財です。33年に一度御開帳される秘仏だそうです。次は2027年になるそうです。
宮本武蔵もきっと、木下街道を通ったのでしょうが、松尾芭蕉や十返舎一九も鹿島神宮詣でに木下街道を通ったそうです。多くの人がこの観音堂を見て休んだのでしょう。
春はお堂前の桜が美しく、秋には赤い屋根と黄金色色づいた秋色の木々との調和のとれた美しさがあります。見る程もない小さな祠ですが、お堂の階に腰かけて、宮本武蔵の活躍と歴史ロマンを思い浮かべてはいかがですか?

なお、余談になりますが、葛飾誌略によると江戸時代にはこのお堂は藤原堂と呼ばれていたそうです。船橋市ホームページによると、法典という地名は、明治22年(1889)作った村名が起こりだそうです。藤原観音堂のある「藤原町」の隣町「上山町」には「法伝」という字(あざ)もあるそうですので、小説「宮本武蔵」第6巻の舞台「法典が原」は、「法伝が原」なのかもしれません。

行徳を三度めぐりて、藤原に百観音と参り納る也。

剣豪宮本武蔵伝説と藤原(地名の由来)

藤原という地名の由来については、剣豪宮本武蔵と結びつける説があります。
奥羽を巡って常陸路を江戸へ向かう武蔵が、この地で父を亡くした少年伊織とめぐり会って、荒野を開拓。そしてこの土地に本姓名である藤原玄信に因んで藤原新田と名付けたというものです。この説は、宮本武蔵が徳川家康が1610年帰依した本行徳の徳願寺に逗留したといわれ、また徳願寺の本堂脇には武蔵の供養塔が建てらおり、そのためでしょうか市川市行徳周辺に伝わる武蔵伝説があります。また、木下街道沿いの徳願寺の領地に建つ藤原観音堂は、宮本武蔵の隠れ家の跡とも伝えられ、そこに吉川英治著の歴史小説『宮本武蔵』に描かれたため、剣豪宮本武蔵が開拓し、彼の本姓から藤原と名付けたという物語があります。
その他、この地の開拓は徳願寺の土地だったためにでしょうか?行徳周辺から移住した者達が中心となって行われました。その草分けであった鈴木政右衛門という人が、検地を受けるために鈴木家の旧姓である藤原からとって藤原新田と名付けたという説もあり、こちらの説が有力だそうです。


参考
船橋市ホームページ
聞いてなるほど地名の由来 船橋市ホームページ
市川市ホームページ
房総叢書 紀元二千六百年記念 第6卷葛飾誌略
ウィッキペディア

身代わり観音(木造観世音菩薩立像:船橋市指定有形文化財)

当藤原堂内に安置されている観世音菩薩立像は像高90センチメートル、木造箔押し、寄木造りで、制作年代は鎌倉時代と推定されるが江戸初期とする説もある。当地方では珍しく端正な仏像であり、土地の人々には『身代わり観音」と呼ばれ、秘仏である。
「身代り観音縁起」によれば京仏師感世は宇治の長者の依頼でこの像を刻み、帰途に大江山で山賊に襲われ刀傷負ったが身体に異常は無かった。同じ頃、長者のもとで観音像から血が流れていたことから観音像が感世の身代わりとなったことがわかり、篤く信仰されたといわれる。江戸時代初期に行徳の富豪田中三左衛門が、丹後の見樹寺から請いを受けて持ち帰ったのがこの身代わり観音であると伝えられる。この像は徳願寺に納められたが、藤原村が開かれた後、元禄三年(1690年)徳願寺領のこの地に移し、寺を建てて安置したといわれている。
木造観世音菩薩立像 1966年(昭和41)2月22日指定
1992年3月 船橋市教育委員会


船橋市教育委員会掲示板より

葛飾誌略によると、この身代観音は京都府亀岡市にある西国ニ十一番札所穴太寺の観音様と同木で応和2年(962)に作られ、万治2年(1659)に、行徳の田中三左衛門が普請奉行として京都に行った際に亀岡市の見樹院より持ち帰り、行徳寺町の徳願寺に納め、31年後の元禄3年(1690)にこの地、藤原に移したと伝えています。そのためでしょうか、藤原観音堂は行徳浦安三十三所観音札所巡りの番外で、一番最後の札所でもあります。三十三の札所を3回周り、藤原観音堂で終わるそうです。つまり、第百番目の札所ということになるのでしょうか?一番札所は徳願寺、最後が藤原観音堂ですから、武蔵に始まり武蔵に終わるなんだか歴史ファンが楽しめそうな浦安行徳三十三所観音札所巡りです。

参考
船橋市教育委員会掲示板
船橋市ホームページ
聞いてなるほど地名の由来 船橋市ホームページ
市川市ホームページ
房総叢書 紀元二千六百年記念 第6卷葛飾誌略
ウィッキペディア

剣豪宮本武蔵伝説のある藤原観音堂への交通案内と地図

徒歩

  • JR船橋法典駅より徒歩10分

バス

  • JR総武線「西船橋駅」より京成バス「(桐畑経由)ファイターズタウン鎌ヶ谷 (桐畑経由)市川営業所」行き乗車時間約20分、「上山町」バス停下車。停留所前
  • JR武蔵野線「船橋法典駅」より京成バス「:(桐畑経由)ファイターズタウン鎌ヶ谷 (桐畑経由)市川営業所」乗車時間1〜2分分ほど、次の停留所「上山町」下車。停留所前。
※船橋法典駅より徒歩をお勧めします。

藤原観音堂
千葉県船橋市藤原町2-234

中山法華経寺界隈の名所 ご案内

中山奥之院

法華経寺奥ノ院

奥之院は日蓮聖人がはじめて説法をした地とされています。また、法華経寺第一世貫主、日常聖人が法華寺を建立した地でもあります。ひっそり咲く紅梅が魅力。
正中山遠寿院

正中山遠壽院

日蓮宗祈檮相傳荒行道場として有名な正中山遠壽院。徳川将軍家、前田家、道灌ゆかりの太田家など古くから人々の厚い信仰と信頼を集める、中山の歴史と伝統を伝える寺院。

東山魁夷記念館

東山魁夷記念館

市川市東山魁夷記念館は、20世紀の日本を代表する国民的日本画家、東山魁夷画伯がの作品をはじめ、身の回りの品やさまざまな資料を通じ、その生涯と芸術をご紹介する記念館です。
宮本武蔵ゆかり藤原観音堂

藤原観音堂

剣豪宮本武蔵の隠れ家、吉川英治著「宮本武蔵」で武蔵と伊織が出会った場所として紹介されている、武蔵伝説と「身代り観音」のある歴史ロマンあふれる、可愛い小さなお堂です。

忠臣蔵ゆかりの唱行寺

今島山唱行寺

市指定文化財「日蓮坐像」と、忠臣蔵「松の廊下」に登場する梶川与惣兵衛ゆかりの歴史あるお寺。
姥山貝塚

国指定史跡 姥山貝塚

縄文時代中期から後期の馬蹄形貝塚。竪穴住居跡が日本で初めて完全な形で発掘された国指定史跡。

中山観光案内書と清華園

清華園

中山法華経寺参道にある静かな庭園。市川市役所の中山出張所としても利用されています。
小栗判官ゆかり鬼越山神明寺

神明神社と鬼越山神明寺

保存木に囲まれた歴史ある神明社と小栗判官ゆかりの銀杏とお不動様で知られる鬼越山神明寺。

龍経山妙正寺

龍経山妙正寺

七経塚伝説で知られる桜の霊場として知られる寺院。市川七福神の寿老人と福禄寿をお祀りしています。
奉免山安楽寺

奉免山安楽寺

常盤井姫による創建伝説と、奉免という地名の由来を伝える、日蓮宗最初の尼寺。

高石神神社の本殿

高石神神社

戦国里見氏に仕えた武将正木時総にまつわる言伝えのある古社。
安房神社本殿

安房神社

戦国里見氏の少年武将広次にまつわる言伝えのある神社。

日蓮聖人ゆかりの八幡神社

若宮八幡宮

日蓮宗開祖日蓮聖人と中法華経寺初代管主ゆかりの小さな八幡宮。
宝珠山多聞寺と二子浦

宝珠院多聞院と二子藤の池

日蓮聖人ゆかりの寺院と地域の自然を保存した藤棚のある小さな池。

永井荷風ゆかりの妙見神社

寺内妙見神社

葛飾の小さな丘の上に建つ、永井荷風も訪れた桜の花咲く鎮守様。
永井荷風の見つけた葛羅の井

葛羅の井

永井荷風に紹介された、葛飾湧水群を偲ばせる住宅街に残る井戸。

中山法華経寺の五重塔

大本山 正中山法華経寺

春には満開の桜と国指定重要文化財の共演が美しい、鎌倉時代から続く日蓮宗の古刹。
桜の名所真間川の桜並木

桜の名所 真間川

市川を縦横に流れる真間川は、桜の名所としても有名です。お花見の時期にはたくさんの人で賑わいます。

コルトンプラザの桜

コルトンプラザ周辺

JR本八幡駅からシャトルバスも出ている商業施設。博物館や図書館あり、一日中楽しめます。
満開の桜咲く中山法華経寺

桜の名所 中山法華経寺

桜のお花見の名所として知られる中山法華経寺。国指定の重要文化財が複数ある博物館のような古刹。