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光縁山勢至院大蓮寺|行基菩薩ゆかりの歴史ある寺院

光縁山勢至院大蓮寺参道光縁山勢至院大蓮寺表門 光縁山勢至院大蓮寺水子地蔵光縁山勢至院大蓮寺地蔵像
光縁山勢至院大蓮寺は、行基菩薩ゆかりの勢至菩薩を安置する由緒ある浄土宗の寺院です。本山は芝増上寺です。本尊は阿弥陀如来。天文13年(1544)、覚誉上人により建立された古刹です。
表門につづく美しい緑色の木々が並ぶ長い参道は、日常の喧騒から心地よい距離感を感じさせてくれます。そしてその門を抜けると、そこには色とりどりの風車に彩られた小さな可愛らしい水子地蔵が大切に祀られ、その奥には穏やかな表情を浮かべた小さな子供を抱いたお地蔵様が優しいまなざしで小さな水子地蔵と、門から入ってきた参拝者を見守るように祀られています。黒門と呼ばれる裏門は、戦国武将黒田官兵衛・長政で有名な黒田家江戸屋敷の馬場につながる門を譲り受けたものです。また、大蓮寺には海苔養殖事業で地域産業に貢献した大塚亮平の顕彰碑と、浦安の発展に尽力した宇田川六郎兵衛のお墓もあります。そして、浦安市で唯一鐘楼のある寺院です。光縁山勢至院大蓮寺はお庭も美しく整備されています。 光縁山勢至院大蓮寺は浦安行徳三十三所観音霊場第33番札所

光縁山勢至院大蓮寺

光縁山勢至院大蓮寺

光縁山勢至院大蓮寺はに安置されている勢至菩薩像は下総を訪れていた行基が千葉寺の十一面観音菩薩像をつくった同木の桜の木の枝から大蓮寺の勢至菩薩像をつくり、堀江村に小さなお堂をつくり祀ったとのことです。
この行基菩薩作の勢至菩薩像を祀る勢至院という庵があり、小田原の大蓮寺の住職覚誉存栄上人が勢至菩薩像に感銘し、天文13年(1544)3月この地に大蓮寺を開山しました。なお、行基作の勢至菩薩像は江戸時代の火災で焼失したそうです。

光縁山勢至院大蓮寺鐘楼

光縁山勢至院大蓮寺鐘楼光縁山勢至院大蓮寺の池

大蓮寺鐘楼

鐘楼とは、鐘つき堂のことです。この鐘楼は享保19年(1734)、芝増上寺の住職になった高僧「学誉」の遺徳を惜しんでつくられました。
この鐘楼にある梵鐘(つりがね)は、毎年5月23日までの農繁期に、農作業に従事する人のための時報(時の鐘)や12月31日の除夜の鐘として利用されてきました。
鐘楼は腐朽のため、明治10年(1877)に再築され、鐘は昭和18年(1943)11月には、太平洋戦争下の金属供出運動によって、献納されてしまいました。
現在の梵鐘は、檀家四百余名が毎月30円ずつ積み立てて、帝室技芸員の香取秀真、正彦父子に依頼して昭和26年(1951)に再鋳されたもので、現在に至っています。
平成21年3月
浦安市教育委員会

光縁山勢至院大蓮寺鐘楼前案内板より

大塚亮平顕彰碑

大塚亮平顕彰碑 浦安市有形文化財

大塚亮平は、嘉永2年(1849)、堀江村に生まれました。若いころから俳句を好み、秋江菴釣月と称していました。明治5年(1872)学制が施行されるや翌6年に、浦安で最初の小学校である「堀江小学校」を創設しました。8年には堀江村学校事務掛を務めたほか、戸長や堤防取締を兼務し、また宮内省御用掛、江戸川筋御猟場監守など数々の公職も歴任しました。
また、明治17年(1884)からは、堀江村の漁業組合長、さらに東京湾水産諮問会郡総代を努め、水産界でも活躍しました。
明治18年(1885)、亮平は村民の生活を豊かにしようと、浦安(「浦安」の名称は明治22年から)、葛西、深川などの有志とともに海苔養殖事業を計画し、深川に海苔養殖場を設置するため、東京府に出願しました。当初、人々はこの事業の将来性が理解できず、反対もありましたが、亮平はあきらめずに人々に説得にあたりました。そして、翌19年には東京府に出願した深川越中島地先の十万坪のうち、浦安では一万五千坪の使用権を取得しました。
後に海苔養殖は、浦安の基幹産業になりますが、亮平はこの事業の盛況を見ることなく、明治22年(1885)に41才でこの世をさりました。
この碑は、多くの分野で貢献した業績を讃え、村民によって、明治25年(1892)に建てられました。
平成23年3月
浦安市教育委員会

光縁山勢至院大蓮寺参道脇案内板より

宇田川六郎兵衛墓

宇田川六郎兵衛墓

宇田川六郎兵衛は、天保4年(1833)、堀江村で生まれました。昌平坂学問所(神田湯島にあった江戸幕府直轄の学問所)で学び、その後、自宅に学問所を開き、子どもを教育しながら、剣道も教えていました。
明治時代に入った頃のことです。魚介類を番船で日本橋の魚河岸に運ぶ際、中川番所(現在の江東区大島)の検査に時間がかかり、魚介類が腐ってしまうので、人々は困っていました。これを知った六郎兵衛は代官と交渉し、以後堀江村の運搬船は無検査で通れるようになったといわれています。
他にも、村同士の争いを解決するなど、村民に信頼されていました。
また、六郎兵衛は漁民の収益増大を図るため、中州(浜町がし)に「〇宇(まるう)」と称する魚市場を開設し、漁民から感謝されました。
六郎兵衛は多くの人に信頼され、業績を残しましたが、明治26年(1893)、60歳でこの世を去りました。
平成23年3月
浦安市教育委員会

光縁山勢至院大蓮寺参道案内板より


抜粋・引用および参考
光縁山勢至院大蓮寺鐘楼前案内板
光縁山勢至院大蓮寺参道案内板
光縁山勢至院大蓮寺ホームページ
浦安市ホームページ
房総叢書 紀元二千六百年記念 第6卷葛飾誌略
江戸川ライン歴史散歩 崙書房
ウィッキペディア

光縁山勢至院大蓮寺の交通案内と所在地

光縁山勢至院大蓮寺の最寄り駅と住所

  • 東京メトロ東西線「浦安駅」より徒歩5分
  • 千葉県浦安市堀江4-14-2

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※ 五番札所は所在地不明。九・十番、十六・十七番、十八番・十九番は統合。