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中山・下総・散歩道

西光山安楽院源心寺と行徳と浦安の開拓に尽くした狩野浄天

源心寺六地蔵源心寺本堂 欠真間山不動尊源心寺鐘楼堂
行徳街道と内匠堀の間の広い寺域に建つ西光山安楽院源心寺は、行徳と浦安の歴史を語るうえで重要なお寺です。源心寺にゆかりのある狩野浄天と浦安市当代島の開拓に尽力された田中内匠により、浄天堀または内匠堀と呼ばれる水路は、行徳と浦安に農業に適した水を運ぶために開削されました。源心寺には、行徳と浦安の開拓に生涯尽力した浄天夫婦のお墓もあります。また、境内にあるお不動様は高野大師作と葛飾誌略に記され、イボ取り不動として昔から知られています。西光山安楽院源心寺は行徳浦安三十三所観音札所の25番札所です。

西光山安楽院源心寺

永正年間(1504〜21)この地に不動尊像を祀った安楽院という草案が建てられたといわれ、葛飾誌略には「安楽院地中なり、古き草庵にして、昔は今井金蔵寺末にて正念寺といふ。源心寺建立有りしより地中となれり」とあります。
この源心寺の開山は徳川家康の帰依を得た、浄土宗増上寺の中興観智国師で、国師の父は天正18年(1590)北条氏照の家臣として、八王子城で戦死した由木左衛門尉利重です。
当時同じ八王子城で戦死した狩野一庵の子、狩野新右衛門は行徳に来住し、観智国師の教化に服して私財を喜捨(寄付)し、慶長16年(1611)新たに堂宇を建立したのが、この源心寺です。
新右衛門は浄天と号し、荒地の開発を行い田畑を開拓し、村人に耕作をすすめましたが、このとき当代島の開発に当たっていた田中内匠と協力し、鎌ヶ谷の囃水を水源にして南西に流れる大柏川から水路をとり、八幡の東部から行徳、南行徳を経て浦安に流れる大灌漑用水路の開削に当たりました。
この水路は内匠堀、また浄天堀といわれ、市川から浦安にかけて新田開発に、なくてはならなぬ大切な用水路となったのです。
浄天は寛永6年(1629)3月他界しますが、浄天夫妻の墓石及び専譽受心(浄天の娘か)によって建てられた供養塔は、共に市の文化財に指定されています。
境内にある六地蔵は、その内の五体が専譽受心の寄進によるものであり、向かって左から2体目が浄天菩提のために、また右から2体目は専譽受心が逆修として建立したものです。

平成14年10月
市川市教育委員会

西光山安楽院源心寺門前案内板より


西光山安楽院源心寺 由来・いわれ

源心寺開山は、徳川家康の帰依を得た浄土宗芝増上寺の中興観智国師です。国師の父は北条氏照家臣として八王子城で戦死した由木左衛門尉利重です。
当時、同じ八王子城で戦死した狩野一庵の子、新右衛門(浄天)は、行徳に来住し観智国師の教化に服して私財を喜捨し慶長16年(1611年)に堂宇が建立されました。現在の本堂は、平成12年(2000年)に再建されたものです。


西光山安楽院源心寺 歳時・みどころ

境内にある不動尊は霊験あらたかなるイボ取り不動として往古より近郷近在に知られています。
1・5・9月の27日は護摩供を厳修、大晦日は、除夜の鐘をつく人達で賑わいます。

西光山安楽院源心寺内案内板より


抜粋・引用および参考
西光山安楽院源心寺門前案内板
西光山安楽院源心寺内案内板
房総叢書 紀元二千六百年記念 第6卷葛飾誌略

西光山安楽院源心寺への交通案内と所在地

西光山安楽院源心寺の最寄り駅と住所

千葉県市川市香取1-16-26
東京メトロ東西線「行徳駅」・「南行徳駅」より徒歩16分。
JR本八幡駅と東京メトロ浦安駅を結ぶバス「源心寺」下車。

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西光山安楽院源心寺

西光山安楽院源心寺

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