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海巌山徳願寺|徳川家と宮本武蔵ゆかりの名刹

海巌山徳願寺山門徳願寺本堂脇の松の庭 海巌山徳願寺本堂海巌山徳願寺松の木
行徳寺町通りと内匠堀の交差点東北に海厳山徳願寺は美しい松に彩られた、徳川将軍家と剣豪宮本武蔵ゆかりの歴史ある名刹。徳川家康が帰依し、秀忠から本尊の運慶作阿弥陀如来像を、家光より朱印を与えられ、宮本武蔵ゆかりの寺院としても知られています。徳願寺の山門(仁王門)、経蔵、鐘楼堂は江戸時代末期から明治中期の建築物であり、市川市指定の有形文化財です。江戸時代には、十夜や二十夜、相撲興業等に多くの参拝客でにぎわったと伝えられています。また、海厳山徳願寺は、行徳・浦安33ヵ所観音札所巡りの第一番札所でもあります。

海巌山徳願寺縁起

桜の木と徳願寺山門山門と鐘楼堂と桜の木 徳願寺本堂と枝垂れ桜徳願寺の参道

海巌山徳願寺

徳願寺はもともと普光院とよぶ草庵で、浄土宗勝願寺の末寺であった。慶長15年(1610)徳川家康の帰依により、新たに堂宇が建立され、徳川の徳のと勝願寺の願をとって、改めて「徳願寺」の名がつけられ、円誉不残上人を開山に開創されたものである。
本尊阿弥陀如来像は、かつて源頼朝の室政子が、仏師運慶に命じて彫刻させたものといわれ、徳川家康が二代将軍秀忠夫人のため、鎌倉から江戸城に遷したが、夫人の逝去後、当山二世中残上人が請けて本尊としたものである。そして、三代将軍家光からは本尊供養料として、慶安元年(1648)朱印十石が与えられた。
本堂は安政三年(1856)火災により焼失、大正5年(1916)に再建されたが、山門に安置する二王像等の彫刻物は、明治維新のさい葛飾八幡宮の別当寺であった法漸寺からうつされたものである。他に輪堂式経蔵や身代観音堂があり、本堂には湛慶作と伝える閻魔大王像が安置されている。
また、本寺には文化4年(1807)江戸深川の永代橋墜落による溺死者の供養塔や、宮本武蔵供養のための石地蔵をはじめ、武蔵筆と伝える書が、丸山応挙筆とつたえる幽霊の絵などが寺宝として保管されている。
明治4年(1871)12月、印旛県庁が一時本寺に置かれたことがあり、更に明治6年(1873)行徳小学校が、本寺を仮校舎として誕生している。
昭和54年3月
市川市教育員会

海巌山徳願寺の文化財

海厳山徳願寺の山門、経蔵、鐘楼堂などの建物は有形文化財として市川市に指定されています。また、葛飾記には運慶作閻魔大王の像がは地中に安置と記された湛慶作閻魔大王像が本堂に安置され、宮本武蔵供養のための石地蔵をはじめ、毎年11月16日(お十夜)に公開される寺宝「宮本武蔵の達磨の絵と書」や「丸山応挙の幽霊画」が有名です。

海厳山徳願寺の山門

本行徳の徳願寺山門本堂から見た徳願寺山門 徳願寺仁王像左徳願寺仁王像右 徳願寺山門内大黒天像徳願寺山門内多聞天像

徳願寺の山門

徳願寺山門は江戸時代安永4年(1775)に建築されました。
楼門の形式としては正規な造り方で、大きさは桁行8.44m 梁間5.18mで中規模なものです。構造形式にはほとんど省略のない堂々としたもので江戸時代中期の楼門の典型であります。この山門で注目すべきは本格的な彫刻です。これらは、下総の地にありながら江戸の彫師による作品で江戸時代中期のものであります。
また、山門内に安置されている二王像は、明治維新後の神仏分離・廃仏毀釈運動による破壊を避けるため、当時の人々の機智により八幡の八幡様で知られる葛飾八幡宮随神門(当時仁王門)から移されたものです。

海厳山徳願寺の経蔵

海巌山徳願寺経蔵

徳願寺 経蔵

徳願の経蔵は明治20年(1887)に建築と奉納銘板にあります。建物の中には一切経を納める回転式八角輪堂が納めれれています。徳願寺経蔵の大きさは、桁行5.46メートル、梁間5.46m、外回りは土蔵造りの下見板張りになっています。八角輪堂は、高欄付縁が廻り、彫刻を施した板軒などは本格的なもので、明治時代の彫刻技法の特徴をよく現しています。徳願寺の経蔵は明治時代に入ってからの建立ですが、輪蔵式のものとして貴重なものです。

海厳山徳願寺の鐘楼堂

海巌山徳願寺鐘楼堂

徳願寺 鐘楼堂

徳願寺鐘楼は山門と同じく江戸時代安永4年(1775)ごろに建築です。
鐘楼としては正規もので、その大きさは、2階は桁行4.02メートル、梁間は3.2メートル、腰下部は7.47メートルと6.77メートルの中規模な鐘楼堂です。構造形式はほとんど省略のない典型的なものです。また彫刻は山門と比較してやや彫りが深く、表現が誇張されており、彫師や年代の差があると思われます。
毎年大晦日の除夜の鐘は寺町通りに響きます。

剣豪宮本武蔵を供養する石地蔵。

剣豪宮本武蔵供養地蔵

徳願寺 剣豪宮本武蔵を供養する石地蔵。

奥羽を巡って常陸路を江戸へ向かう武蔵が、徳願寺の土地である藤原観音堂の建つ船橋市藤原の地で父を亡くした少年伊織とめぐり会って荒野を開拓した伝説が伝わっています。また、妙典村の五兵衛という人が、宮本武蔵を泊めたさいに武蔵が突然病を発して斃れたと、葛飾誌略には記されています。剣豪宮本武蔵が徳川家康が1610年帰依した本行徳の徳願寺に逗留したこと、そして徳願寺のこの武蔵の供養塔があることなどから、行徳周辺で語り継がれている剣豪宮本武蔵お話です。



引用、抜粋並びに参考
海厳山徳願寺前案内板
市川市ホームページ
船橋市ホームページ
市川市市立図書館ホームページ
葛飾八幡宮内御由緒書
葛飾八幡宮随神門前案内板
藤原観音堂前案内板
江戸名所図会6 ちくま学芸文庫
房総叢書 紀元二千六百年記念 第8卷葛飾紀
房総叢書 紀元二千六百年記念 第6卷葛飾誌略
市川よみうり 2015年1月10日号
ウィッキペディア

徳願寺への交通案内と所在地

海巌山徳願寺の最寄り駅と住所

東京メトロ東西線「妙典駅」より徒歩10分
千葉県市川市本行徳5−22
行徳寺町周辺散歩道の案内図

海厳山徳願寺周辺の案内図

行徳寺町周辺散歩道案内図のPDF

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