本文へスキップ

Nakayama is in between Narita And Haneda International Airport

中山・下総・散歩道

English Page

里見広次並びに里見軍将士亡霊の碑|国府台合戦を伝える歴史遺産

里見城址に相応しい石垣 里見軍将士亡霊の碑
里見公園のバラ園の北側、戦国の城国府台城跡にふさわしい小高い石垣の上に、大きな丸い石と三つの石塔がひっそりと建てられています。これが国府台合戦の激しさを今に伝える「里見広次並びに里見軍将士亡霊の碑」です。里見公園は戦国時代の城「国府台城」跡につくられた市立公園です。およそ500年前の戦国時代に、この地国府台で、安房の大名里見氏と相模の大名北条氏が激突しました。北条氏の勝利、里見氏の敗北で終わったこの戦にまつわる伝承はいまだに江戸川両岸の江戸川区と市川市に残っています。じゅん菜池緑地姫宮中山法華経寺手前の安房神社。そして里見公園に建てられた「夜泣き石」と「里見広次並びに里見軍将士亡霊の碑」も第二次国府台合戦の激しさを今に伝える大切な歴史遺産です。

里見広次並びに里見軍将士亡霊の碑

里見広次並びに里見軍将士亡霊の碑

永禄7年(1564)1月4日、里見義弘は8千の軍勢をもって国府台に陣を構え、北条氏康の率いる2万の兵を迎え撃ちました。しかし、8日払暁北条軍は寝込みを襲い里見の陣地目がけて一斉に攻撃をかけたのです。鬨の声に驚いた里見軍は「あるいは鎧、太刀よ馬に鞍おけと呼びまた太刀一振り鎧一領に2人3人取付て我よ人よとせり合い、兜許りで出づるもあり鎧着て空手で出づるものあり」という狼狽ぶりを呈しました。
この合戦で敗北した里見軍は里見広次、正木内膳らをはじめとして戦死するもの5千名と伝えております。その後里見軍の戦死者の亡霊を弔う者もなくやっと文政12年(1829)に至って里見将士郡亡塚(左側)里見諸将霊墓(中央)が建てられ、また年代は不祥ですが石井辰五郎という人によって里見広次公廟(右側)が建てられました。
ここに265年の歳月を経てようやくこの地で討死した里見軍将士の亡霊が慰められ、今日に残されたものです。

里見広次並びに里見軍将士亡霊の碑脇案内板より


抜粋・引用および参考
夜泣き石前案内板
里見広次並びに里見軍将士亡霊の碑脇案内板
市川市ホームページ

里見広次並びに里見軍将士亡霊の碑へのアクセスマップ

夜泣き石と里見広次並びに里見軍将士亡霊の碑の最寄り駅と住所

  • 京成本線「国府台駅」徒歩10分
  • 北総開発鉄道「矢切駅」より徒歩10分
  • 千葉県市川市国府台3-9(里見公園内)
里見公園と江戸川の地図

里見公園など江戸川沿岸名所案内

江戸川沿岸の散歩道の案内図のPDF

夜泣き石など里見公園と周辺にある観光名所 ご案内

花見の名所里見公園

里見公園(国府台城跡)

四季折々の自然や花々だけでなく、国府台城跡など、歴史や文化も楽しめる公園です。
里見公園のバラ祭り

里見公園の四季

春は桜、初夏のバラ、秋の紅葉、そして北原白秋旧宅や明戸古墳などのある素敵な散歩道。

紅葉の紫烟草舎

紫烟草舎(北原白秋旧宅)

昭和の香り漂う詩人北原白秋旧宅。
弘法大師伝説の羅漢の井

羅漢の井

弘法大師発見伝説のある井戸。

里見群亡の碑と夜泣き石

夜泣き石

戦国時代に生きた若者たちの悲しい物語を伝える歴史遺産。
里見群亡の碑と夜泣き石

里見群亡の碑

第二次国府台合戦の激しさを今に伝える大切な歴史遺産。

明戸古墳石棺

明戸古墳石棺

江戸名所図会にも紹介された古墳時代後期に造られた古墳の石棺。
式正織部流の茶室

式正織部流の茶室

戦国時代の武将で茶人の古田織部が創始した茶道の流派の茶室。

安国山総寧寺本堂

安国山総寧寺

江戸時代、徳川幕府より10万石の大名と同等の格式を認めらた寺院。
国府台天満宮

国府台天満宮

室町時代からの伝統行事国府台辻切り行事を今に伝える天満宮。

初夏のじゅん菜池緑地

じゅん菜池緑地

姫宮と茶室「登龍庵」のある梅と紅葉の名所である自然豊かな公園。
江戸川の流れ

江戸川沿岸の散歩道

豊かな自然と歴史を今に伝える遺跡跡や名所の残る散歩道です。

春の手児奈霊神堂

手児奈・真間山周辺の散歩道

真間の手古奈、行基・弘法大師創建伝説のある弘法寺、郭沫若記念館ほか四季折々楽しめる散歩道。
回向院別院の庭園

回向院別院と国府台緑地

千葉県建築文化賞を受賞した本堂と石庭と竹林と、カフェテリア回向院でくつろいだ時間を楽しめる名刹。

アイリンクタウン展望施設

アイリンクタウン展望施設

東京を東から一望できる展望施設。富士山と東京スカイツリーを眺める最高のビュースポット。