じゅん菜池緑地公園|百合姫伝説の伝えられる自然豊かな公園



じゅん菜池緑地公園は市川市の北西部にある自然豊かな公園です。
梅と紅葉の名所でもあり、梅園には
茶室「登龍庵」も置かれています。また、じゅん菜池は以前は国分池と呼ばれ、戦国時代の2度の国府台合戦にまつわる
伝説も残っています。じゅん菜池緑地公園、四季折々の自然と、歴史を楽しめる素敵な散歩道です。
じゅん菜池緑地

じゅん菜池緑地とは
じゅん菜池緑地は、国府台と国分の台地の間に深く入り組んだ古くから国分沼を、昭和50年度から整備復原を進め、昭和56年に完成しました。総面積は約85,000uです。
木々に囲まれ、水と緑の憩いの場として、たくさんの人々に親しまれています。
じゅん菜池緑地南側入口前案内板より
じゅん菜池緑地の四季
じゅんさい池緑地公園の南側にはたくさんの梅の木が植えられ、早春には梅の香りに包まれます。また、池の周りには梅のほか、ソメイヨシノをはじめ数種の桜の木が植えられ、春の季節を彩ります。
水辺には鴨や鵜など数種の水鳥も見られます。






新緑の季節を迎えると、じゅん菜池緑地の水辺にはたくさんの花々が咲き乱れます。


じゅん菜池緑地の北側は紅葉の名所。美しく紅に染まった紅葉の森は、晩秋の冷たい空気を忘れさせてくれます。また、池の東側の丘には木々が茂り、秋に彩りを添え、水鳥の進む水面をカラフルな色合いに飾ります。








茶室「登龍庵」
この茶室は昭和61年市内の真間に在住されていた、岸本義一氏より寄贈を受けここに移設したものです。
その後、平成17年に市川市茶道会からの寄附をもとに、建物の増築、改修を致しました。
茶会等に利用できるそうです。
茶室「登龍庵」前案内板より

姫宮と夜泣き石
戦国時代、この国府台地域で、後北条氏と里見氏との間で、国府台合戦が行われました。この戦いに敗れた里見軍の武将の娘にまつわる伝説が2つ残されています。
じゅん菜池緑公園の南側入口付近の道路沿いに「姫宮」と呼ばれる小さな祠があります。これは、国分沼(現在のじゅん菜池)に身を投げた里見軍の武将の娘を供養するため、里人たちが建てたといわれているものです。
また
里見公園内には、「
夜泣き石」と呼ばれる石があります。戦死した里見軍の武将里見弘次の娘が、その石にもたれて泣き続け、そのままなくなってしまった後、毎夜悲しい泣き声が聞こえるようになったという言い伝えの残る石です。
その後、ある武士がこの姫を供養してからは泣き声は聞こえなくなったといいます。
じゅん菜池緑地南側入口前案内板より
百合姫伝説
室町時代末期の戦国時代に、国府台台地の東の小高い曽谷の地に、当時下総一国を治めていた千葉氏の一族である曽谷氏の城がありました。当主の曽谷直繁には百合姫という美しい娘がいて、父に愛され、平和な暮らしをおくっていました。
ところが、この平和な地にも戦国の波が訪れます。そして千葉氏一族は分裂して戦ったそうです。そして曽谷城も戦に巻き込まれ、父直繁や兄弟の多くが戦死し、百合姫は悲しさのあまりに国分池に身を投じたそうです。
一説には、蓮正寺の和尚池に身を投じたともあります。
そして、百合姫を弔うかのように、たくさんの百合の花が咲いたそうです。市川市の百合台は百合姫にちなんでつけられたのだそうです。
出典・抜粋・引用および参考
じゅん菜池緑地南側入口前案内板
市川市ホームページ
改訂新版 市川のむかし話
江戸名所図会6 ちくま学芸文庫
新編 市川歴史探訪 崙書房
じゅん菜池緑地公園の最寄り駅と住所
- 京成本線「国府台駅」徒歩21分
- 北総開発鉄道「矢切駅」より徒歩10分
- 千葉県市川市中国分4−27
じゅん菜池緑地近くの名所 ご案内
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じゅん菜池緑地
姫宮と茶室「登龍庵」のある梅と紅葉の名所である自然豊かな公園。
高い評価受けた現代建築の本堂と石庭と竹林、カフェもある名刹。
野菊の墓の舞台と第二次国府台合戦の激戦地でもある野菊苑と西蓮寺。