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中山・下総・散歩道

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安国山総寧寺|10万石大名と同等の格式を認められた寺院

安国山総寧寺門前安国山総寧寺本堂
葵の御紋のあるガラス戸可愛らしい石仏と歌碑
安国山総寧寺は、歴史と格式ある社寺の多い市川市でも、際立って高い格式を誇った曹洞宗の寺院です。寛文3年、洪水を避けるためと国府台の合戦で亡くなった多くの将兵の御霊を慰めるために、国府台の地に移ったと葛飾紀に記されています。江戸時代には徳川幕府より10万石の大名と同等の格式を与えられていたそうです。また、明治以前には、里見公園全体が総寧寺の寺領であったようです。江戸名所図会や葛飾紀などによると、里見公園南西外れの羅漢の井も総寧寺境内であり、太田道灌が植えたと伝えられる榎や梅、桜の木があったそうです。葵の紋所を入れた本堂のガラス戸、境内に置かれた歌碑や可愛らしい石仏あり、季節を問わず散策を楽しめる、魅力あふれる寺院です。

安国山総寧寺

格式を示す下馬の石碑安国山総寧寺門前の桜
総寧寺楼門と桜総寧寺本殿と桜
総寧寺境内の桜の木総寧寺参道の桜

安国山総寧寺

総寧寺はもと、近江国観音寺の城主佐々木氏頼により、永徳3年(1383)通幻禅師を開山として、近江国五槻庄樫原郷(滋賀県坂田郡近江町)に建立された曹洞宗の寺院であった。
ところが、天正3年(1575)に至って、小田原城主北条氏政が、寺領20石を与えて下総国関宿(千葉県関宿町)に移した。
その後、関宿の地はしばしば水害を被ったため、寛文3年(1663)遂に徳川4代将軍家綱に願って国府台の地に移った。その折幕府は寺領として128石5斗余、山林6万7千坪を与えている。
総寧寺は古くから一宗の僧録に任ぜられていたが、徳川家康が天下を掌握すると宗門の統一支配の面から、総寧寺の住職に全国曹洞宗寺院の総支配権を与え、一宗の大僧録に任じたのである。しかも歴代住職は10万石大名の格式を以て遇せられ、江戸小石川には邸が与えられた。総寧寺の格式の高さは今日に残る下馬石によっても分かる。
明治5年(1872)学制の施行によって、第一学区の大学校舎を総寧寺境内に建設することになったが、それは後、陸軍用地となり、昭和33年現在の里見公園となった。
本寺の境内には、関宿より移された小笠原政信夫妻の供養塔である2基五輪塔、小川稽古斎碑をはじめ、国府台合戦にまつわる夜泣石等を存する。
昭和54年3月
市川市教育委員会

安国山総寧寺門前案内板より


出典・抜粋・引用および参考
安国山総寧寺門前案内板
市川市ホームページ
江戸名所図会6 ちくま学芸文庫
新編 市川歴史探訪 崙書房
房総叢書 : 紀元二千六百年記念. 第8卷葛飾紀
房総叢書 : 紀元二千六百年記念. 第6卷葛飾誌略

安国山総寧寺へのアクセスマップ

  • 京成本線「国府台駅」徒歩10分
  • 北総開発鉄道「矢切駅」より徒歩10分
安国山総寧寺
千葉県市川市国府台3−10−1

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安国山総寧寺

江戸時代、徳川幕府より10万石の大名と同等の格式を認められていた曹洞宗の寺院。

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