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平田の聖徳太子堂は地域の信仰の歴史を今に伝える小さなお堂

市川市平田の聖徳太子堂平田聖徳太子堂脇の石碑
平田聖徳太子堂中山法華経寺赤門を入ってすぐ右、春は桜、夏は百日紅の美しい陽雲寺の別院です。この太子堂の歴史は古く、詳しい様子は伝わっていませんが江戸時代のかなり早い時期からこの地にあったようです。また葛飾誌略よると、平田と聖徳太子に関する記録として、行徳寺町通り長松禅寺に安置されている聖徳太子作と伝えられている薬師如来像は、元々は平田にあったものを、昔平田の地の領主の松原淡路守がこの薬師如来像に帰依し、この像を安置するために大和田に永正寺という寺を建立しましが、後に永正寺がなくなり、寛文元年(1661)に長松禅寺に移されたと伝えています。(なお、同書永正寺の段には、松平讃岐守により天文年中(1532〜1554)建立ともあります。)市川市平田には寺院はありませんが、平田の太子堂は、遠い昔から平田に住む人々が聖徳太子を信仰していた歴史を今に伝える小さな建物です。

平田聖徳太子堂

平田聖徳太子堂(陽雲寺別院)縁起

文化3(1806)年作成の古地図に既に堂宇が記されている事から、基となる堂宇の建立はそれ以前となります。安置されている聖徳太子供養塔(石造)は、側面に
(右)庚申之講衆 拾四人 平田村
(左)萬治元年戊戌九月十三日 願主 及川四郎兵衛
とあり、西暦にして1658年聖徳太子の石造としては千葉県最古と考えられ、境内左の庚申塔からも、当時この地に庚申講があった事を示す民俗資料といえます。この貴重な尊像と故事の風化を防ぐ為、関係各位のご協力の下、平成5(1993)年現堂宇を再建致しました。

聖徳太子講

信仰や地縁を同じくした者同士の会合として古くから様々な「講」がある中、太子講は建築系の職人達が聖徳太子を寺院建立の祖として作業安全や技能向上を祈願すると共に、親睦を深める寄合の場とした。平成5年の再建に携わった十数名にて再結成され、毎年1、2、5、9月に講を、10月には大祭を催して、前記の所願及び平田地区の発展、皆様の心願成就を祈念しております。

平成29年2月
日蓮宗 中山 陽雲寺


平田聖徳太子堂前案内板より


引用、抜粋並び参考文献
平田聖徳太子堂前案内板
紀元二千六百年記念. 第6卷 地誌其一 葛飾誌略

平田聖徳太子堂への交通案内と所在地

平田聖徳太子堂までのアクセスと住所

  • 都営新宿線・JR総武線「本八幡駅」徒歩10分。京成本線「京成八幡駅」徒歩9分・「菅野駅」徒歩6分。
  • 千葉県市川市平田2−5−16

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市川市平田の太子堂

平田の聖徳太子堂

平田地域の聖徳太子信仰の歴史を今に伝える小さなお堂です。
市川市新田の春日神社

新田の春日神社

桜と松、根上松のある住宅街にひっそりと佇む隠れ里のような御社。

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