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Nakayama is in between Narita And Haneda International Airport

大本山 正中山法華経寺 宇賀神堂

中山法華経寺宇賀神堂

大本山 正中山法華経寺 宇賀神堂

中山法華経寺の宇賀神堂は祖師堂と宝殿門の後ろの小高い丘の上にある小さなお堂です。法華経寺守護神である宇賀徳正神の本社であり、財福の神として広く知られています。宇賀神堂に置かれている案内書によると、「祖師堂建立に際し宇賀神が現れ、お堂を建てくたら中山を守護するとの託宣があり、宇賀神堂を建てた」という伝承があると書かれています。また、正中山法華経寺誌には、「徳川家の鬼門除けのために建立された」と宇賀神堂を紹介しています。春には梅、初夏のツツジ、秋にはキンモクセイがお堂を彩ります。この裏手に清正公堂や太田稲荷が祀られています。

宇賀神

古来、人間に福徳をもたらすと考えれれている福の神たちの総称、食物神・農業神ともされる。幸福・利益・智恵・財力の神とされている弁財天と同一視されることが多い。宝冠の中に白い蛇があるところから、神として祭った白蛇、白蛇を指すこともある。
神名の「宇賀」は、日本神話に登場する宇迦之御魂神に由来するものと一般的には考えられている(仏教語で「財施」を意味する「宇迦耶」に由来するという説もある)。また、うかは「うけ(食)」の音変化、つまり食物、または穀物をさし、元々は、穀霊神・福徳神として民間で信仰されていた神ではないかと推測されているが、両者には名前以外の共通性は乏しく、その出自は不明である。また、蛇神・龍神の化身とされることもあった。また、宇迦御魂の異称とも言われる。
その姿は、人頭蛇身で蜷局を巻く形で表され、頭部も老翁や女性であったりと一様ではない。
比叡山・延暦寺(天台宗)の教学に取り入れられ、仏教の神(天)である弁才天と習合あるいは合体した。この合一神は、宇賀弁才天とも呼ばれ、宇賀神はしばしば弁才天の頭頂部に小さく乗る。その際、鳥居が添えられることも多い。
出自が不明で、経典では穀霊神としての性格が見られないことなどから、宇賀神は、弁才天との神仏習合の中で造作され案出された神、との説もある。
宇賀弁才天への信仰は、延暦寺に近い近江国・竹生島を中心に、安芸国・厳島、相模国・江ノ島など全国に広まった。 これらは、明治の神仏分離の際に市寸島比売命などを祭神とする神社となっている。鎌倉市の宇賀福神社では、宇賀神をそのまま神道の神として祀っている。

弁財天

七福神の中で唯一の女神で、もとはサラスバティというインド古代神話に現れる大河の神で、梵天の妃といわれている。サラスバティは、「水を有するもの」を意味する女性名詞で、その流れる水の音にちなみ、音楽の神、弁舌(知恵)の神となり、日本に伝わった当初は弁才天と呼ばれた。仏教に弁才天を登場させたのは、「金光明最勝王経」で、弁才天はこの経を説く人や聞く人に知恵や長寿、財産を授けるとしている。しかし、民衆の間では技能の神として信仰されることが多く日本古来の神であるイチキシマヒメノミコトと習合して、白肉色で宝冠をかぶり琵琶を弾く美女の姿が一般的になった。
中世末期以降は財産の神としての信仰も生まれ、弁才天を弁財天とも書くようになり、七福神の一つとして取り入れられるようになった。知恵財宝・愛嬌縁結びの徳があるといわれている。弁財天は古来より宇賀徳正神と表裏の関係で祭祀されることを思うと、法華経寺の宇賀徳正神と当時の弁財天も表裏の関係と思われる。願満弁財天として多くの参拝者を集めている。

宇迦御魂

うかは「うけ(食)」の音変化、つまり食物、ことに稲の神霊。うけのみたま。


出典・抜粋・引用および参考
中山法華経寺宇賀神堂の由来(案内文)
正中山法華経寺誌
日蓮宗各本山名所図会
デジタル大辞林
ウィッキペディア
日蓮宗大荒行ホームページ
株式会社アイエムホームページ(エリアごとの寺院案内 奥ノ院)
宇賀神堂と梅 宇賀神堂としだれ桜 法華経寺のつつじ 宇賀神堂とつづじ 宇賀神堂と金木犀 宇賀神堂と紅葉

正中山法華経寺 宇賀神堂の交通案内と所在地

正中山法華経寺 宇賀神堂の最寄り駅と住所

  • JR総武線下総中山駅下車 徒歩8分
  • 京成線京成中山駅下車 徒歩5分
  • 千葉県市川市中山2−10−1 正中山法華経寺境内

中山法華経寺境内案内図

中山法華経寺境内の案内図

印刷は下のPDFをご利用下さい。
中山法華経寺境内案内図PDF

永井荷風の歩いた中山の案内図

永井荷風の歩いた中山と葛飾の案内図

永井荷風が歩いた中山と葛飾の散歩道のPDF

日蓮宗大本山 正中山法華経寺 境内と周辺の観光名所ご案内

法華経寺本院

本院(大客殿)・鬼子母神堂(尊神堂)

本院の奥に鬼子母神堂があります。日蓮大聖人御親刻の鬼子母神像を安置されています。。怨魔退散、子育ての守護神として崇められています。
法華経寺の桜

法華経寺の四季

法華経寺の春は満開の桜に彩られます。夏は龍王池の蓮の花、秋は泣き公孫樹。大荒行入行会、大荒行成満会、節分会など季節ごとに趣があります。 また、春と秋には境内で骨董市も開かれます。

重要文化財祖師堂

祖師堂 大堂 国指定重要文化財

比翼入母屋造りのお堂。中老日法上人の作の日蓮聖人像が安置されています。両脇には当山歴代6祖の御像を奉安いたします。正面の大額「祖師堂」は本阿弥光悦筆。
重要文化財五重塔

五重塔(国指定重要文化財)

江戸時代前期元和5年(1622)18世正教院日慈上人代に本阿弥光室の本願により、加賀(石川県)前田公の寄進により建立されました。三間四面銅板葺。

重要文化財法華堂

法華堂(国指定重要文化財)

鎌倉時代文応元年(1260)創建。日蓮聖人自ら一尊四菩薩を開眼安置す。百日百座説法の霊跡。
重要文化財四足門

四足門(国指定重要文化財)

切妻造檜皮葺、約七百年前鎌倉愛染堂に在ったものを移築して法華堂の正門に立てたもの。

伊東忠太作法華経寺聖教殿

聖教殿

建築家伊東忠太氏の設計。法華経寺の寺宝を保管している。11月のお風入れの際には、その一部を公開しています。
清正公大神祇堂

諸願成就祈願堂 清正公大神祇堂

清正公大神祇とは、戦国武将で大壇越の加藤清正公没後、神仏の化身として信仰するようになったのだそうです。

法華経寺の荒行堂

荒行堂

三大荒行で知られる日蓮大聖人直授の秘伝、大荒行が行われる 11月1日より2月10日までの百日間、この建物で行われます。
法華経寺の仁王門

仁王門(赤門・三門)

三門・赤門とも呼呼ばれています。広壮な建物。扁額「正中山」は桃山から江戸時代に活躍した本阿弥光悦筆によります。

法華経寺の刹堂

刹堂

十羅刹女・鬼子母尊神・大黒様を安置し、罪障消滅の霊場として、参詣者が終日、太鼓の音を響かせている。甲子の日は特別祈祷が厳修される。
法華経寺の黒門

黒門(市指定有形文化財)

総門とも呼ばれています。古風にして雄大、太田資順筆の如来滅後、閻浮提内、本化菩薩、初転法輪、法華道場の額を揚げてあります。

日蓮聖人開眼八大龍王堂

八大龍王堂

日蓮聖人開眼の八大龍王を祠る御堂。雨乞の霊験ありと伝えられています。近年は商売繁盛の守護神として参詣者が後を絶ちません。
宇賀徳正神の本社

宇賀神堂

法華経寺の守護の宇賀徳正神の本社であり、財福の神として広く知られている。この裏手に清正公堂や太田稲荷が祀られている。

酉の市と法華経寺妙見堂

妙見堂

千葉家伝来の北辰妙見尊星を第3代日祐上人が正法護持国土安穏除災招福の守護神として奉安する。11月には酉の市も行われます。
法華経寺の奥之院

法華経寺奥ノ院

奥之院は日蓮聖人がはじめて説法をした地とされています。また、法華経寺第一世貫主、日常聖人が法華寺を建立した地です。

法華経寺の大仏

大仏(釈迦如来坐像)

享保4年(1719)法華経寺59世日禅上人代に鋳造され身丈1丈6尺台座2間半、鋳像では千葉県一を誇る大きさである。
日常聖人と泣き銀杏

日常聖人像と泣き公孫樹

中山法華経寺第一世貫主日常聖人の銅像です。奥之院にもあります。そして日常聖人と息子の日頂上人ゆかりの泣き公孫樹。

鏡池跡、絵馬堂、鐘楼堂

鏡池跡、絵馬堂、宝殿門、龍閑橋

法華経寺には重要文化財以外にも、鏡池跡、龍閑橋、宝殿門、鐘楼堂、そしてその周りには季節ごとに咲く花々があります。
本阿弥光悦ゆかりの法華経寺

法華経寺とゆかりの文人・芸術家

安土桃山から江戸初期にかけて活躍した芸術家本阿弥光悦のほか、連歌師宗長、明治の詩人正岡子規ほか法華経寺を訪れています。

法宣院の紅葉の参道

中山法華経寺の塔頭寺院

中山法華経寺は奥之院や遠寿院、中山四院家などたくさんの素敵な塔頭が建てられています。
市川市東山魁夷記念館

中山法華経寺界隈の散歩道

法華経寺の周辺には、塔頭寺院ほか東山魁夷記念館などがあり、歴史と文化を楽しめる散歩道です。

桜の花見の名所中山法華経寺

桜のお花見の名所 中山法華経寺

中山法華経寺は桜のお花見の名所として、桜の季節にはたくさんの参拝客で賑わいます。

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